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設立者紹介

設立者 内藤豊次

設立者 内藤 豊次(1889年~1978年)

写真は昭和48年4月、勲三等瑞宝章を受章した折に記念撮影したもの(当時83歳)

設立者 内藤 豊次(1889年~1978年)

  • 明治22年8月15日、福井県丹生郡糸生村で内藤菊治の3男(第6子)として生まれる。
  • 明治36年4月、武生中学2年終了後に中退、独学生活に入る。
  • 明治38年春、大阪へ出て海老江のボタン工場に奉公。
  • 明治39年、神戸のドイツ人経営の貿易商ウインケル商館に勤務。夜は神戸パルモア英学院に。
  • 明治42年11月、徴兵検査に合格、東京九段の近衛第二聯隊へ入営し衛生兵となる。
  • 明治44年12月、除隊。神戸の英人経営薬局タムソン商会に入社。
  • 大正4年、第一次世界大戦でタムソン商会閉鎖。田辺五兵衛氏の紹介を受け、東京の田辺元三郎商店に入社、貿易業務担当。
  • 大正13年、外国雑誌からヒントを得て、芳香性ヒマシ油カスタロールを開発発売。以後、昭和8年までの間に、鎮咳剤チミツシン、脱毛剤エバクレーム、スポーツ薬サロメチール、一粒肝油ハリバ等を手がけ、一大マスコミ品に育てる。
  • 昭和10年(株)田辺元三郎商店常務取締役に就任(46歳)。
  • 昭和11年田辺経営のかたわら医薬品の研究開発を自ら構想して合資会社桜ヶ岡研究所を設立。
  • 昭和16年日本衛材(株)を設立。
  • 昭和18年(株)田辺元三郎商店を定年退職(在社29年)、日本衛材の育成に専念。
  • 昭和24年避妊薬サンプーン公認さる。以後、ルチンC、ネオフィリン、チョコラ・シリーズ製品他の新製品を開発発売。
  • 昭和30年社名をエーザイ株式会社と改称。
  • 昭和41年社長を内藤祐次に譲り、代表取締役会長に就任。
  • 昭和42年脳血栓で倒れる。
  • 昭和44年内藤記念科学振興財団を設立して理事長に就任。
  • 昭和53年3月20日逝去、88歳。